撮影・冨永智子
作家の森絵都さんが新作『デモクラシーのいろは』を出しました。616ページの長編が生まれた背景は―。
金子徹記者
2年余りの雑誌連載をまとめました。
「準備期間も含めると5年くらい。書いても書いても終わらない感じでした」
舞台は終戦直後の東京です。
「まだ新しい秩序が生まれていない時期です。食料も入手し難いなか、闇市や軍事物資の横流しなど、いろいろなことが入り乱れていた。そんなカオスのころの日本を書いてみたかった」
語り手は、進駐軍の日系2世のリュウ。GHQ(連合国軍総司令部)発案の試験的な「民主主義のレッスン」の教師役に任命されます。
「私自身、民主主義って何だっけ? という感じで本をたくさん読みました。そのうちに、民主主義はひとつじゃない、十人十色の民主主義があると思うようになりました。では、どれを選べばいいのか。つかみどころがない民主主義を、つかみどころがないまま書くしかないと。戦後、民主主義の教育がどのようにおこなわれたのか。その、わからなさにもひかれました」
生徒は元華族や農家出身の、4人の20歳前後の女性たち。半年のレッスンが始まります。
「まさか半年で、それまでの軍国主義とは百八十度違う民主主義が身につくとは思えません。それよりは、レッスンを通じ日系2世のリュウと生徒たちがいかに互いを変えあい、近づきあっていくか。そんな人間関係のドラマが一番書きたかった。レッスンをとっかかりに、あの時代の人間を描きたいと」
生徒には、各人各様の戦争の傷がありました。
「ふわふわしていたり、かげがあったり、さまざまなタイプの女性がひとつの家に集まって、どんな関係性が生まれるのか楽しみでした。なるべくいろいろな戦争体験談を自分のなかに取り込みたいと思い、市井(しせい)の人たちの体験を読み続けながら執筆しました。この5年間は、ずっと戦争に触れ続けていた感じです」
GHQにより食と住が保証された4人が白米の食事に感涙し、死んだ家族を思い浮かべる場面が印象的です。
〈これが戦後だ。どんなに幸福な瞬間にも、ひと皮むけば血まみれの過去が顔をのぞかせる〉
「レッスンを受けるのはいいけれど、その後どうなるか。そこを描くのが難しかった。彼女たちがいくら民主主義を学んでも、社会が変わらなければ新しい考え方は役に立たず、声をあげても押しつぶされてしまいます。彼女たちを、本当に未来のある『出口』に連れていくにはどうするか。そこで、ある『仕掛け』を考えました。それぞれが夢を抱き、自力で『出口』へ向かうために」
戦後教育史を下敷きにした感動作『みかづき』(2016年)など「教育」と縁があるイメージです。
「実は高校時代、アルバイトを14回も転々としました。始めて3カ月くらいたつと、新人に教える立場になる。でも、私は教えるのが本当に苦手で、逃げるように別の仕事を求めて14回に(笑い)。そんな私がなぜこんなに『教育』を書いたのかわからないんですけど(笑い)、学びの場は嫌いじゃない。知らないことを教わるのは好きです。教わる側の気持ちで書いているのかな」
戦後の大転換を今一度見つめ直す
ストレッチや英語の勉強を日課にしています。
「自分で決めたことをこつこつやるのは得意です。ちょっと難しく、できるかできないか分からないくらいだと、いい緊張感になる。でも、ノルマが増え、ご飯を作る時間がどんどんなくなって(笑い)」
小説でも毎回が「挑戦」です。今回も「小説でやったことがないこと、やられていないこと」として、あえて民主主義をテーマにしました。
「アメリカが第1次世界大戦に参戦した時のスローガンは『世界は民主主義によって守らなければならない』。これを機に民主主義は連合国軍に共有されました。暴力の最たるものは戦争ですが、民主主義は暴力へのアンチテーゼなのだと感じます。戦争や暴力から人命を守るためには、討論や多数決、お互いの意見の尊重が必要です。民主主義の原点にあるものは、対暴力だと思います。いまはまた危機の時代です。まずは民主主義って何なのかと、一度考えてみてもいい」
海外の戦場を舞台にした小説を構想中です。
「ガザやウクライナのことは気になります。私は戦争が続く限り、それを許している人類全体が『敗者』だと思っています。たぶん私が生きているうちに戦争は終わらない。でも、生きている限りは自分にできることがしたい。私にとって、それは小説を書くことです。だからこの仕事を続けていきたい」
もり・えと=1968年東京都生まれ。『リズム』で講談社児童文学新人賞と椋鳩十児童文学賞、『風に舞いあがるビニールシート』で直木賞、『みかづき』で中央公論文芸賞